
2021年02月03日(水)
玄蕃稲荷神社では例年、節分の夕刻に攘災招福祈願祭を斎行し、参拝者が社頭に納めた災厄除けの人形(ひとがた)をお焚き上げすることによって皆さまの邪気を払い清めるお手伝いをしています。
今年は年末から社頭に人形を置いていたことに加えてコロナ禍でもあったことから、100枚以上の人形が納められました。この祭事を始めて4年になりますが、節分にあたって「災厄除け人形」を納めることの趣旨が徐々に浸透してきた実感を味わっています。
また、今年から授与することにした「恵方巻き」も、限定50本の予定が最終的に110本を用意することになり、何とか準備をして皆さんにお分かちすることができました。その様子をあづみ野テレビが取材してくれたのもありがたいことでした。
節分の祈願祭を終えた頃、「今、恵方巻きをいただいています。大変美味しく絶品です。来年も是非お願いします。」というメールが入りましたので、「本日はありがとうございました。来年も是非、御利益をいただいてください。」とお返ししました。
コロナ禍で先行きが見通せず、漠たる不安を抱いている方が多い中、小さな神社でも何か出来ることがあるはずと、稲荷ずしの「恵方巻き」を考案したのですが、何もコンビニやスーパー、百貨店や高級料亭に対抗したいというわけでなく、それらの「恵方巻き」とは明確に異なる「祈りの具」として、これからも安曇野の節分を彩る名物行事に成長するまで授与して行きたいと思っています。
来年も是非、玄蕃稲荷の恵方巻きで御利益をいただいてください。
2021年01月27日(水)
玄蕃稲荷神社では今年から恵方巻きを授与することにしました。
市民タイムスで紹介されたことで多くの問い合わせをいただいており、少しばかり皆様のお役に立てたのではないかと安堵しているところです。
そもそも恵方巻きは、江戸末期、商売繁盛や家内安全を願って上方で始まったと言われています。
節分の食文化として今に伝えられているのも、節分が一年(旧暦)の締めくくりの日で、翌日(春分)から始まる新しい年(春)を迎えるにあたって一年の幸福を祈るに相応しい日でもあったからです。
つまり、恵方巻きは神様に祈りを伝えるための具、手段だったのです。
しかし、近年ではスーパーやコンビニの商品として取り扱われ、季節の食べ物として受け止められるようになり、さらには「フードロスの象徴」といった汚名まで着せられて、恵方巻きに込めらた「祈りのカタチ」はすっかり影を潜めてしまいました。
そうした現状に違和感を抱いていたこともあり、神社と直接にゆかりのある恵方巻きを考案したという次第です。
玄蕃稲荷の恵方巻きは、稲荷神のお使いであるキツネの好物・油揚げで作った棒状の稲荷ずし。
恵方巻きを鬼の金棒に見立てて厄除に食したという言い伝えに従うならば、一般の恵方巻きより見た目も鬼の金棒に近いことは間違いありません。当然、神社で授与する恵方巻きですから厄除けの御利益も・・・。
コロナ禍では誰もが八方塞がり、先の見えない不安を抱きつつもこの一年を恙なく過ごしたいと切に願う方々に、少しでも心の安らぎをお届けできればと、四方八方から忍び寄る悪疫を退ける「八方除御守」とともに授与することと致しました。
なお、玄蕃稲荷の恵方巻きは2月2日の節分の日、正午から午後6時までの間にお渡しします。
当日は、追儺行事の古儀に因み鬼の面が皆様をお迎えし、夕刻からは災厄除けの祈願祭が執り行われますので、災厄除けの人形は午後6時までにお納めください。
2021年01月20日(水)
令和3年の「願掛けキツネのおこもり祈願」を無事に終えることができました。祈願参拝者それぞれの平穏な一年をあらためてご祈念申し上げます。
ところで、今年のおこもり祈願は、コロナ禍にあって三密を避けるための代参という意味合いで受け止められる方が多かったように思われます。ならばコロナ禍が終息して平穏な暮らしに戻った際には、その役割を終えてしまうのか?
私が「願掛けキツネのおこもり祈願」を発案したのは、古く日本人は、正月に「年籠り」をしていたからです。つまり、祈願のために大晦日の夜から朝にかけて神社にこもる「年籠り」こそが初詣の起源なのです。
現代社会では、誰もが神社に籠って深い祈りをささげることは叶いませんので、年が明けて初めて神社に参拝する初詣に加えて、さらなる祈りをささげるために稲荷神の眷属(お使い)であるキツネにその代役を務めてもらおうと考えたわけです。
ということで、コロナ禍の終息にかかわらず、年の初めに深い祈りをささげるために玄蕃稲荷神社では「願掛けキツネのおこもり祈願」をこれからも奉仕することにしています。
2021年01月11日(月)
この正月、玄蕃稲荷には松本だるまを求めて多くの方が参拝に来られました。
その中には初めてお求めになられる方もあり、由来を尋ねられることもありましたので、ここで簡単にお話しすることにしましょう。
玄蕃稲荷の松本だるまは、太い眉毛と丸い頬ひげが特徴で、昭和28年頃、玄蕃稲荷神社の先々代宮司で私の父である宮澤源一が復刻して作り始めたものです。実にその歴史は60年以上に及ぶのです。
近年、人形店などが太い眉毛と丸い頬ひげのだるまを販売するようになっていますが、戦前の松本だるまの頬ひげは三角だったと言われていますから、現在、松本だるまと称されるだるまの本家本元は、玄蕃稲荷神社ということになるのです。
玄蕃稲荷の松本だるまを模して様々な形の松本だるまが作られているという現実は、玄蕃稲荷が地域の民俗文化財の復刻・伝承に極めて重要な役割を果たしたことをも意味しています。そしてもう一つ重要なのは、玄蕃稲荷の松本だるまは神社で作られていることから、明確な信仰の対象として信じられてきたということです。
ここであらためて玄蕃稲荷神社が松本だるまの本家本元であることを示す資料を紹介しておきましょう。
平成3年に長野県教育委員会が編集発行した『長野県の諸職ー長野県諸職関係民俗文化財調査報告書ー』には、松本だるまの唯一の技術伝承者として宮沢源一の名が挙げられ、調査員がまとめた報告書の中には、「宮沢さんのだるまは特徴的で、ひげも荒木ひげではなく丸い毛であり、だるまには必ず『大当』の字が入っている。」という記載があります。
つまり父が独創した特徴的な「丸いひげ」と「大当の文字」が、今日の松本だるまの特徴として広く認識されるに至っているわけですから、玄蕃稲荷神社が松本だるまの本家本元と断言できるのです。
ちなみに、だるま製造業者のなかには「歴史的資料にあたって松本だるまを復刻した」、「これが松本だるまだ」などと吹聴宣伝しているところもあるやに聞き及びますが、それが事実であれば、そこで製造されているだるまには「丸いひげ」や「大当の文字」はないことになるはずなのですが・・(笑)